春先の布団の中の温もり

東京生まれ東京育ちの社会人のひとりごと。

アニメぜんぜん観終わらないよ〜

観てる途中のアニメばっかり増えていって、一向に観終わらないよ〜。

原因は母で、自分の半分か1/3くらいの時間しか家にいないのに、なぜか自分がアニメを観ている速さの2、3倍の速さでアニメを観ている。

 

観途中のアニメがNetflixにどんどん増えていくので、つまみ食いしたり一緒に観たりしてて一向に進まない。

母が観始めた寄生獣に途中参戦し、今日追い抜かして観終わった。なんか最近ずっと観てるMonsterはまだ50話くらい。

 

母はもう観終わってる東京喰種も、途中。

母はもう観終わったスキップとローファーも、途中。

その他たくさんのドラマやアニメが途中になっている。母は観終わってるけど。

 

久しぶりにBlood+観たいなと思ってアマプラ無料体験始めたのに、まだ1話も観てない!もうダメですわ。

 

思い返せば、いろんなことを中途半端にやってきたな〜と思って。

勉強も、興味は多方面にあるからいろんなことを学び始めるけど、ちゃんと目標立てて最後までやり切ったのは少ないかも。

資格試験とかも、趣味で楽しく勉強できるけど、途中になってるものがいっぱい。

 

なんだか悲しいや。

一つのことに一生懸命になって突っ走れる人ってだからかっこよくて、それがアニメとか漫画を好きな理由でもあるんだろうな。主人公は大体一つのことに向かって努力してたり、一つのことを極めてたりするから。

 

自分は広く深く学びたい欲張りだけど、優先順位はつけていかないといけないし、そろそろ来年の目標立てないとな〜と思ったり。

まずは、Monsterを観終わり、Blood+を観始めるところからだ。

思い出を思い出すというのは大事なことだ

この前高校の同級生に久しぶりに会って、高校生時代の話とかして盛り上がって、思い出を思い出すってとっても大事だなって思いました。

 

いろんな、楽しかったこと、嬉しかったこと、笑ったこと、泣いたこと、悔しかったこと、怒ったこととか、皆さんあると思うんですけど。

それをいちいち思い出して、その時と全く同じではなくても、なんか似たような気持ちに浸ってみたりとか、もう一回しゃぶるっていうか、思い出すことって大事です。

 

そう考えると思い出って何回でも舐め続けられる飴見たいな、ずっとおいしい、割といつまででも楽しめるものだな〜。

1年に1回くらいしか会わない友人と、会ったら6時間くらい同じ話をするんだけど、それを毎回会うたびにやってる。そういうことない?

 

ずっとしゃぶれるのよ。

で、気づいてるかもしれないけど、しゃぶるとか舐めるとか言ってます。この正しい表現ってなんだっけ。正しいっていうか、よく言う言い方あるよね?!

いい表現が思い出せなくて、必死にしゃぶったり舐めたりしてる。

 

「こする」でもいいか。擦ってるというよりはしゃぶってるんだけどな〜。

 

まあでも、思い出を思い出ボックスに入れて蓋をして、物置にしまっておくんじゃなくて、たまーに引っ張り出して、覗いてみちゃったりして、それを他の人と一緒にやったりなんてしちゃったら、めちゃめちゃ楽しいのよね。

それをまたしまっておいて、別の機会にもう一回、同じ人とでも別の人とでもやったりして、思い出を何回も、思い出して、しまって、ってしていく。

 

そんなことができる友人がいてよかったと思う日でした。

プレゼントは大体女がもらってる

「大学生 クリスマスプレゼント」と調べると「大学生の彼女に贈るクリスマスプレゼント〇〇選!」とかばかり出てくる件について話そう。

 

調べたら、多分「彼女に贈る」が多いと思うよ。

というのも完全な偏見というか、自分が調べた結果から感じた個人の感想ですが。

なんか最近意見しずらいね、コメントしずらいわ、言いにくい、全てのことが。個人の感想とかいう言葉のせいでさ。

 

まあそういうことは別の機会に話すとして、やっぱりこれも完全に偏見が入っちゃってますが、女ばっかりもらってない?とね。

あんまり女とか男とか言うの好きではないし、普段性別やジェンダーを指定しない言葉を使ってるつもりなんだけど、それとは別に生物学的に、というのがあって。例えばよく言う「女性は感情派、男性は理論派」とかみたいな、学問的に言えること。

その中にさ、女性はモノをもらうのが嬉しい、男性はキモチをもらうのが嬉しい、ってない?

 

これって完全に感情派・理論派っていう話とは真逆になっちゃうけど、本当にそうじゃない?わからない、自分はモノをもらえると嬉しいです笑

 

言い換えると、女性は見えるものの方がより信じられる、とか?例えば、これもよく出てくる話かもしれないけど、好きって言葉にしてもらいたい、その方が安心する、とか。

見えるもの、はっきりしているものの方が信頼できるって話かなと思ったりもしたけど、好きって言葉は結局見えないもので、大嘘こくこともできるので、違うかあ。

 

難しんだけど、多分女の方がもらってるよ。

どうしてもそういうことにしたい、違ったとしたら、事実を捻じ曲げたい笑

いや、ここに書いてあることはすべて偏見とかステレオタイプとかもう必要ないものに完全に寄ってる話だから、全部嘘ですね。

個性とか個人とか私ってどこに行ったんだよ

会社とか結局自分に似た人ばっかり。って最近思います。

 

この前久しぶりに高校の友達に会い、話していて、その子の言ってることが全くわからなかった。というかもうその子への受け答えが、うちの会社の人が言いそうなことになっちゃってた。

なぜ弱音不平不満ばかり吐いているんだ?そう思うならこう考えたらいいのに、などと社会人思考になってて、ていうか社会人に求められる思考?

自分が恥ずかしかったですう。

 

うちの会社って表現が嫌だなもう、会社に愛着湧いちゃってるし自分のものになっちゃってるもんね。弊社ですわ。

 

会社という組織に属しつつも自分は自分であり、自分の大事にしてきた信念的なものは手放さず、むしろブラッシュアップしていくぞ、くらいのつもりで社会人になったけど、やっぱり私は会社になってきているらしい。

思えばほんとに弊社の人間は自分にそっくりな人が多く、ていうか自分が彼らに似ているんですね、はい、いつも自己を中心に考えてます、すみません。

 

上昇志向で物事をいい方に、ピンチをチャンスに捉える人、スペシャリストタイプで一つのことをとことん追求するのが好きな人が多い。

やっぱり社風とかカルチャーとかいうものに染まっていくみたいだし(体験談)、そうすると久しぶりに会った友達に対して弊社のカルチャーを発揮しちゃうことになる。つれー。

 

ここからはまじで弊社の人が言いそうなことを言いますが、同じような人が集まっていてはクリエイティブなものは生まれないし、会社の中でもユニークであることが求められているはずだから、やっぱり会社という組織に属していても、自分は自分であり続ける必要があるな〜。

 

個性とか私というものをガンガン磨いて尖らせていって、属している組織を受け入れはするけど一体化はせず、良いところを取り入れて自分をブラッシュアップしていく、そんな感じでやっていきたいな〜と思ったのでした。

風邪的なサムシングが普通になっている世の中

11月結構長いこと風邪ひいてたんだけど、もう風邪とかインフルとかコロナとかが普通になっちゃっているよなと思った。

というのも、風邪をひいている/ひいたと言ったときに返ってくる答えが、ほぼ必ずと言っていいほど「最近流行ってるよね〜」だから。

 

まじで最近ほんとにインフルとかコロナの人が周りに多いのはそうだと思うんだけど、最近っていつから?っていうくらい長い話じゃないか?

ずっとこれが続くようなもんなんじゃないか?

 

パンデミックを通してこれが普通になっちゃってるのもあるし、逆に(逆にっていう言葉の使い方が未だにわからないけど積極的に使っていく)パンデミック前ってどんな感じだったか思い出せない。

まあでも風邪的なものが流行っている状態の方が「普通」になってきていて、それに対して誰も何も思わなくなってきているよね。

 

これは、風邪的なサムシングの話でもそうなんだけど、他の様々なことに対しても同じことが言えると思っていて、例えば政治的暴力とかが世界規模で普通のことになって、人を物理的にも精神的にも傷つけることが、自分にとって普通のことになってしまったら怖いな、とか。

世界で起きている、本来なら心を揺さぶるような、感情が揺れて耐えられないようなことが、起きすぎている今の世の中で、自分がそれらのことに対して心を動かさなくなったら終わりだなと思うわけですよ。

だからやっぱりクラピカが言っているようにこの怒りを風化させちゃいけないわけで、理不尽なこととかおかしいと思うことに対しては切に向き合っていく必要があるし、この痛みとか苦しみに慣れていってしまうと、いつか自分が自分ではなくなるのよね〜。

 

どんな世の中で、どう世界が変わっていっても、自分は自分で変わらずありたいし、人を赦し愛することを続けていきたいと思うわけさ。

 

わたしは平日は仕事、休日はチームスポーツになっているらしい

直近の記事を見たところ、「わたし」って「仕事」か「チームスポーツ」でしかないらしい。その話しかしてない。どういうこと?

 

なので、仕事とチームスポーツ以外の話をしようと思う。

 

最近気づいたけど、普通に持ってる会社とか家族とかのコミュニティ以外の、何か特別な、縁とか運命みたいなものによる繋がりに憧れを感じてるかもしれない。

というのも、中学生?ぶりに『ゆとりですがなにか』を観て、こんな友達って素晴らしすぎる!トモダチサイコー!となっているのだ。

なんだかよくわからない巡り合わせみたいなもので繋がりができて、それが最終的に友情とかいうつくろうと思っても簡単につくれないものに昇華している。キーッ!うらやましいーっ!

 

東京タラレバ娘』の友情の形もめっちゃいいなと思ってて、あんなふうに当日いきなり集まろうって言って集まったり、なんでも話せる、打ち明けられるみたいな関係性にも、どうやら憧れちゃってるみたいです。

 

それが縁とか巡り合わせみたいな特別なものじゃなくても、単純に相手のことある程度考えずに?気を遣わずに?誘ったり誘われたりできる関係性はほしいと思う。

そしてそれは、相手が忙しいかどうかとかじゃなく、相手の予定とか忙しさをそこまで気にせずに「今日会える?」を言い合えて、もしダメで断られても、何回でもまた聞けるような関係性なんだと思う。

 

だから結局、みんな忙しい〜とか、自分も忙しい〜とかのステータスが問題なんじゃなくて、ある程度気にせずに言い合える関係性をつくっていきましょうよっていう話で、それは大体どんな相手ともできそうなことだな。

と考え、それに取り組み中である。

 

ほらな!!!ちゃんと話そうと思えばまともなこと言えるんだぜ!!

いつも仕事大変〜チームスポーツ最高〜だけ言ってるわけじゃねえのよ!

チームスポーツ最高!バレーボールやりてー!

ハイキュー!!』Season4を観終わりそうで泣いてる。研磨、かわいい…。

それぞれのチームの人間関係とその描き方がめちゃめちゃ青春なんだよな。

みんながお互いを想いあってて、理解してて、だから成立するチームプレー。描き方がうますぎる!!!

 

当初観てた頃は小中学生とかだったと思うけど、このときは単純に絵が好みなのと、迫力ある感じの動きとか描き方がかっこいい!くらいで観てた気がする。

今は、よくある登場人物の年齢を追い越したら視点とか見方が変わるあの現象(誰かこれに名前つけてくれ)で、高校生くそ青春かよ!と思いつつ、心理描写とか人間関係の表現が素敵すぎて感動ものになってきてる。

 

あと、漫画は読んでないのでこのあとどうなるのかは知らないんだけど、同じ学年で同じメンバーで話が続いてるのも個人的にはめちゃアツい。

普通スポーツ漫画って、主人公が1年生で入学してから3年生で卒業するまでの物語みたいなのが多くて、それ以外の(特に)先輩、後輩は主人公の成長のための存在でしかないって感じなんだけど。

ハイキューでは、一人一人の存在に価値があって、みんなそれぞれ過去を持ってて、だから今こういうプレーをする、こういう人になってる、みたいな、なんかリアリティないようであるというか、あるようでないというか。

 

リアルを俯瞰してるって感じか??笑

ま、とにかくいいんだよな!!

いいものに対して必要以上に説明をつける必要はないか。とにかくいい、でいいだろ。

 

ハイキュー!!』はとにかくいいぞ!!!