春先の布団の中の温もり

東京生まれ東京育ちの社会人のひとりごと。

いつか何もしない人間になってしまう

3年くらい前から、偏見とかバイアスをなくす訓練(対自分)を始めて、まずいろいろな文化とか歴史、世界のどこかで起きていること、いろいろな人の考え方、生き方を知ろうと勉強した、しまくった。

緊急事態宣言が出て大学に行かなくなった春、1日12時間くらい、大学の授業と、本とか映画を通しての学びの時間をつくった。

 

結果知らなかったことをたくさん知って、その分また知らないことが増えて、知りたいことが増えて。学びの楽しさも知って。

そういうことを通して、安易に、迂闊に、言葉を出さないようになった。思ったことをすぐ言わずにはいられない人間が、急に無口でゆっくり考えてから口を開く人間になった。いや、急にじゃなかったかもしれないけど。

 

「〜じゃん」みたいな決めつける言葉とか、「〇〇系」「〜っぽい」みたいなカテゴライズの表現とか、「普通」「当たり前」「絶対」みたいな相手に価値観を押し付けるような言葉を使うのをやめた。

自分の知ってるパターンとかカテゴリーに相手を、話題を当てはめて、箱に分類しちゃった方が楽だし簡単だし苦労もないんだけど、それは相手を一人の人間として、一つの大事なトピックとして扱ってることにならないんだなと思う。

 

大きい主語も使うのをやめようとしているところで、気をつけてても言っちゃうときはあるけど、どんな相手に対してでも「あなたとわたし」の関係性になりたいんだと思う。

 

学びがあって、行動が変わって、変化があった中で、どんどんいろいろなことをやめてきて、これからもどんどんやめていくんだとしたら、自分は何もしない、何も言わない、何もできない人間になってしまうかもしれない。

だからこれからは、何かを新しく始めていくフェーズだと思いつつ、今日も生きている。久しぶりに痛い文章書いてみたぜ。